2013年12月10日 (火)

まちかどエッセー第68回 「ついていけません」

最近の世の中のもろもろの進歩になかなかついていけません。とくにメカ的なものに夫婦そろって弱くてパソコントラブルもしょっちゅうです。私達の携帯はもちろんシニア向けの二つ折り、電話とメールしか使いません。ずっと前、孫のたいせいが2歳のころ足を伸ばして座り上体をパタンと膝の上に付けるのを見て、「うわあ、携帯電話やわあ」と驚いていたら、姉の花が「ちがうよ。今電話はこうやで」と左のてのひらの上を右の人差し指でぱっぱっと払ってみせました。いわゆるスマホというやつです。聞くといろいろ便利な機能があるらしいですが、一方で学生や若者たちの間でトラブルも多いとか。これからの子どもはたいへんやなあと思わず同情してしまいます。

私の母は明治36年の生まれでしたが、92歳の時に書いた自分史に「小学校へは風呂敷に本を包み肩にかけ、木綿の着物にワラ草履を履いて通った。石板と石筆を持って、習った字を書いては消して使った。もちろん宿題もなければテストもない・・・」と書いています。その僅か四代あとの孫たちは生まれながらにパソコンをおもちゃのように使っているのです。その加速的進歩の中で、私達も翻弄され続けてきました。が、今はもうあたふたしないで自分の身の丈に合った便利さだけを享受しようという心境です。

先日今年の紅白の出場者が発表されましたが、もう知ってる歌手はわずかです。性別、国籍、人数不明の名前ばかりで、「紅白よ、お前もか」の感強しです。しかし、今、私達夫婦が揃って必ず見る番組が二つあります。一つはNHKの「朝ドラ」ですが、もう一つは毎週月曜日のBS日本「こころの歌」。フォレスタという男性6人女性5人ほどの合唱グループが古今の日本の歌をじつにきちんと歌ってくれるのです。伴奏はピアノのみ、歌手の人はマイクを持ってピシっと立ち微動だにしません。その礼儀正しさにおもわずこちらも正座して聞きたくなるほどです。一人ひとりの歌唱力も抜群で、どんな歌も安心して聞けますし、またほとんど知っている歌なのもうれしいことです。歌番組はこれだけで十分です。

とはいえ、孫たちが来るとたいへんです。キョウリュウジャーにどっぷりはまっているたいせいはガムテープをぐるりと腰に巻き付け切れ端をあちこちぺたぺた貼って、一番お気に入りのミドリレンジャーになったつもり。「やあ」とか「わあ」とかいいながら手をふり足を揚げて敵である私にかかってきます。私も適当に反撃して最後は倒れてやります。が、やがては体力のほうもついていけなくなってほんとうに倒れることでしょう。

そして時代は進歩ばかりではありません。思いかけず怖い時代へ逆行することもあります。未来を担う子供たちのために今こそ大人のふんばり時かもしれません。

 

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年11月11日 (月)

まちかどエッセー第67回 「忍び寄る老い」

今年の秋の来かたはちょっと異常でした。「暑いなあ」「ほんとにいつまでも暑いですねえ」「あれっ、今日なんかひんやりしてない?」「ほんと、もう秋が近いのかも」「いやあ、またまた夏日やわ」「まだ半そでしまわれへんなあ」「うわっ、今朝めっちゃ寒ない?」「あかん。毛布出さな」などと右往左往しているうちにどうやら「秋」定着。遅ればせながら金木犀も香り始めました。何だかんだいいながら季節は着実に移っていきます。

 これと同じようにあれっ、あれっと言っているうちに着実にやってくるのが「老い」です。私達夫婦もここ1~2年、お互いの思わぬミスに驚きながら、「どないしたん? 大丈夫?」といいつつ、次はわが身と苦笑する日々が続いています。

 最初の出来事は、9月3日、次女が助産院を退院すると言うので迎えに行く時のことです。夫は早々と車に乗って待っていました。私も急いで用意をしていざ玄関で靴を履こうとしたら靴が見当たりません。夫にいうと「盗られたんとちがうか。他に靴ないんか?」というので(ないことないけど、盗られるわけないし・・おかしいなあ。)と思ってふと見ると夫の靴があります。(えっ、あの人何履いてるの? まさか・・)と思って急いで車のドアを開けて夫の足元を見ると平気な顔で私の靴を履いているのです。が~~~ん。女房の靴を履いて気付かないことってある~~? びっくりして私がいうと「よう似とったから」と。確かに足の大きさはほぼ同じですが、色も違うし履き心地も違うでしょうに。この時私は夫がこのまま呆けたらどうしようと本気で心配しました。

 私の小ミスも続きます。ある日味噌汁を作っていて、最後の味噌を入れるのを忘れていました。私は鍋を開けてびっくりしましたが、夫は「なんか今日の味噌汁は薄いなあ」と思って飲んだというのです。三宮にある銀行で通帳記帳をしようとわざわざ遠回りして行ってATMの前でカバンを開けたら通帳を忘れていたり・・。あるサークルで初対面の人に「私○○です。あなたは?」と言われ「西嶋です。よろしく」と言い合って一週間後、その人に会い、「こんにちは、西嶋さん」と言われましたが、とっさに相手の名前が出てきません。「こんにちは・・」と言ってからず~っと思い出そうとしましたが無駄でした。最近では長年使ってきた眼鏡が忽然と消えました。いつも探し物をしている夫に「ものは勝手に歩かない」と言ってそのだらしなさをなじっていた私としては自分が許せません。ずっと前、孫のたいせいが、夫のベレー帽を炬燵の中に入れていたことがあったので、先日来たたいせいがまたどこかにやったのでは・・と彼に濡れ衣をきせる始末です。

 夫と共犯のこともあります。先日篠山まで黒枝豆を買いにいきましたが、ある所でお金だけ払って枝豆をもらうのを忘れました。お互いが相手が持っているだろうと思ったのです。家に帰って気がつき呆然。翌日また行って事情を話して豆をもらえたからよかったですが。

 そしてそして、だめ押しの一件が昨日(11月2日)おこりました。1か月以上前からチケットを買って楽しみにしていた松村組の太鼓の公演をころっと忘れて聞き逃してしまいました。5000円のチケット代もさることながら、あの素晴らしい公演を見逃した悔しさ。16時開演でしたが、その時私はなんと昼寝をしていたのです。ああああ~~~。 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年10月11日 (金)

まちかどエッセー第66回 「これぞサプリメント」

毎年9月10月は小さい孫を持つ祖父母にとって忙しい月となります。というのも保育園や幼稚園で敬老の日の行事や運動会などがあるからです。我が家もそうでした。

まず9月6日、大阪に住む次女の子どもの幼稚園で「祖父母の会」がありました。都合で私だけの参加でしたが、5歳児35人の教室の中に同じくらいの人数の祖父母が子ども達を囲むようにすわりました。司会も子ども達です。あいさつのあと司会の子が「おじいちゃんおばあちゃん、順番に自分の名前と孫の名前とお年を言ってください。」といいました。小さな動揺が祖父母の間に広がりましたが孫には勝てません。一人ずつ「○○のおばあちゃんの○○です。としは63歳です。」などと言っていきました。みんな自分の年齢は隠したいんだけれど他人の年齢には興味津々、おもしろい時間でした。そのあと歌あり、合奏あり、クイズあり、体を触れ合う体操などもあって、最後にプレゼントの贈呈がありました。四角い木の箱のティッシュ入れで、外側に孫のいたるが描いた私の顔と「おばあちゃん、こうべからようちえんまできてくれてありがとう」という文字がありました。

明石にすむ長女の子の保育園でも9月13日「お月見会」と称する祖父母の会がありました。0歳から5歳まで総出演です。ここでは5歳の花は予想通りしっかりしていましたが、問題は3歳のたいせいです。昨年は全く何もしないでただ立っているだけの「かべ」でしたから。今年は「とんぼのめがね」の歌でした。ラップの芯を切って二つならべた青いめがねを目に当てて「とんぼのめがねはみずいろめがね、あーおいおそらをとんだからー、とーんだからー」とちゃんと歌ったのです。となりで見ていたお姑さんとおもわず手を取り合って「歌った、歌った」と喜びあいました。

そして10月は運動会です。次女のところは10月5日でしたが、朝7時ごろちょっと降った雨のため延期、6日となりました。ために6日から出張の婿は見られなくなり、急きょ長女一家が応援に来てくれました。私も行きましたが、私はずっと娘の家で生後1か月の三男坊の子守りをしていました。やはり母親である娘が見たほうがいいからです。孫のいたるは好きないとこの花ちゃんが見てくれているので張り切ってリレーで一等になったとか。次は12日、花たちの運動会の予定です。

今こうした孫の成長する姿を時々見ることが私達の最高のサプリメントとなっています。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年9月11日 (水)

まちかどエッセー第65回 「生まれました」

9月1日、関東大震災から90年目、防災の日です。学校に行く子ども達にとってはまさに夏休み最後のおまけの日曜日でもありました。夫が「青春18きっぷが余ってるからどっか行こか」というので、余り深く考えもせず、近場でと和歌山に出かけました。とりあえず観光案内のパンフに一番大きく載っていた和歌山城へ。大きなお城でぐるりと見てまわるだけでお昼を過ぎました。昼食後奈良回りで帰ろうと各駅停車のワンマン電車に乗りましたが、2時間近くかかるので景色にも本にも居眠りにも飽きてぼうっとしていたその時、夫の携帯のメール着信音が鳴りました。見た夫が「生まれましたって!」と叫びました。ええーっと私。携帯をひったくって見ると次女の婿からで、「生まれました。体重3148g、身長48,1㎝。」そして次女と赤ん坊が並んで寝ている写真も。「じぇじぇじぇ、もう生まれたの? ああ、でも元気そうで良かった」というのが最初の感想で、そこから大忙しです。

 婿の両親や長女からもメールあり、そのやり取りをしているうちにだんだんと嬉しさや喜びが湧いてきて終点駅の待ち遠しいこと。駅に着くなり次女に電話しました。次女は元気そうで、助産院に着いて30分余りで生まれたこと、日曜日だったので旦那さんも上二人の男の子もみんな立会ったとのこと。彼女は二番目の子の出産のときだれも間に合わず一人で産んだので、今回はみんなに見守られて心強かったし、嬉しかったようです。

 予定日は9月5日でしたが、赤ん坊がみんなに早く会いたいと日曜日を選んだに違いありません。3人目も男の子だというのは分かっていましたので、名前もすでに考えていたようです。そして驚いたことに翌々日の3日にはもう退院したのです。私達も迎えに行きましたが、「えっ、赤ちゃんてこんなに小ちゃかったっけ」と改めて驚きました。髪の毛が黒々しているのは母親似で、顔はお兄ちゃんたちにそっくり。要するによく似た3兄弟を次女たち夫婦はこれから育てるわけで、大変だけど楽しい大仕事になることでしょう。

 これで孫が5人になりました。最初の孫が生まれた時、私達は「この子が20歳になるまで元気に生きよう」と誓ったのですが、次々と生まれるのでそのたびにリセットです。でもいいのです。20年後、この子が「おばあちゃん、ぼく生まれてきてよかったわ」と言ってくれ、それを私達が元気に聞けたら、私の人生もオールOKです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年8月12日 (月)

まちかどエッセー第64回 「Hとゲン ぼちぼちいこか」

今、「少年H」が再び走りだしました。「少年H」の初版本が発売されたのは1997年1月17日、あの地震からちょうど2年目でした。戦争を書いているとはいえ、小学生Hの目で書かれていることと全文にルビがふってあることで、子どもでも十分に読める本でした。たちまちベストセラーになって1か月後には第三刷となり、我が家にもその時のサイン本があります。それから16年、このたび映画化されたということで、再び火がつきました。神戸が舞台になっているし、作者の妹尾河童さんが大満足という出来栄えらしいので、ぜひ映画も見ようと思っています。

 一方、漫画「はだしのゲン」も世界20か国で翻訳され、若い人たちに原爆の恐ろしさをダイレクトに訴えているそうです。この本も我が家にとって忘れられない本です。ちょうど次女が小学校に入るか入らないころで、ひらがなが読めた彼女はたちまちゲンにとりつかれました。家にいる時はいつ見てもゲンの本を読んでおり、10巻をたちまち読み終え、さらに何回も何回も繰り返し眺めておりました。内容をすっかり覚えていて夕食の時だれかが「ゲンは魚の骨までしゃぶっていたなあ」とでもいおうものなら、さっと立って本を持ってきてその場面を開けてみせるほどでした。この本は間違いなく彼女のバイブルとなり、おかげで彼女の漢字力、語彙力がおおいに養われたと思っています。

 そして今、その次女の子いたる(5歳)のお気に入りの絵本はアメリカ人マイク=セイラーがかいた「ぼちぼちいこか」です。重量級のカバがいろいろな職業に挑戦するのですがことごとく失敗するという話で、今江祥智の関西弁訳が抜群にうまい上に、絵も単純ほのぼの系でカバ君の失敗ぶりがなんともユーモラスです。見開き2ページの左が挑戦編、右が失敗編になっていて、たとえば「ぼく しょうぼうしに なれるやろか」(はしごがこわれて)「なれへんかったわ」「ふなのりは どうやろか」(舟が沈んで)「どうも こうも あれへん」「パイロットやったら」(カバくんの乗った後ろ半分がちぎれて)「と、おもたけどなあ」・・・という具合に続き、最後「どないしたら ええのんやろ」「そや。ええこと おもいつくまで ここらで ちょっと ひとやすみ。」とハンモックに乗りますが・・・(最後の絵はお楽しみ)「ま、ぼちぼち いこかー と いうことや。」 大阪人のいたるはこれを完全に覚えていて、みごとな関西弁で紙芝居のように読んでくれるのです。

 いつの時代も本はおもしろいし、人の心を動かす大きな力を持っています。今の子どもたちもぜひいい本に出会ってほしいと思っています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年7月10日 (水)

まちかどエッセー第63回 「東北見聞録(じぇじぇじぇの旅)その2

東北旅行の2日目。5月26日、やはり早朝、車の中で目覚めました。暑くも寒くもなく快適でよく眠れましたし、お湯を沸かして(コンロも鍋も持参)コーヒー、パン、おにぎり、昨夜買った惣菜などで、エコで楽しい朝食もとりました。南三陸町に着いたのが朝の6時で、外は明るいのですが、あたりにはだあーれもいなくて、ただただ一面に荒地が広がっています。だからよけいにですが、流され残った3階建ての赤い鉄骨だけの建物が目につきます。近づくと「防災対策庁舎」の看板があり、あの最後まで避難をよびかけながら亡くなった女性のいたところだとわかりました。鉄骨の根元にはたくさんの花束や折り鶴などが供えられ、メッセ―ジも添えられていました。私も手をあわせ心から冥福を祈りました。

 次は女川町に向かいました。原発を見ようと半島をどんどん走りましたが、突然「通行禁止」の柵に阻まれ結局それらしきものは見られませんでした。しかし、ここの海岸もひどかったです。分厚いコンクリート製の2階建て、3階建ての四角い建物がまるでサイコロをころがしたようにごろんと横たわっています。ふだんなら絶対見ることのない建物の底を露わに見せているのがやはり異常です。海岸には堤防代わりに大きな土嚢が何百と並んでいます。

 そこから石巻市へ。ここでは3人の意見一致で復元された「石の森萬画館」に行きました。石の森章太郎はお気に入りの漫画家ですが、原画をざっと見て最後にベンチに座っている仮面ライダーの像と肩を組んで写真を撮り、壁から突き出ている章太郎さんの手(銅製)と握手してお別れしました。

 ちょうどお昼に松島市に着きました。ここはもうすっかり観光地に還っていて、たくさんの人でにぎわっていました。あなご丼を食べ、瑞巌寺にお参りしこの旅の無事終了をお願いしました。それからはまた夫と息子が交互に運転して一路南下。夕方息子の帰宅に便利な駅近くで夕食、息子も満足し、私達も助かって気持ちよく別れました。

 翌27日はもちろんひたすら神戸に向かって走り、夕方5時無事帰宅。5日間2515kmの大旅行でした。夫と車、お疲れさん!

 家に帰って嬉しいことがありました。留守の間、野菜の水やりに来てくれた花の手紙が仏壇にありました。2月に亡くなった曾祖父に宛てて「おおじいちゃんへ、こころはつながってるよ、だいすきだよ。はなより」自分と曾祖父の似顔絵が添えられたやさしい手紙でした。

 被災地の遺族の方々もきっと同じ思いでいることでしょう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年6月12日 (水)

まちかどエッセー第62回 「東北見聞録(じぇじぇじぇの旅)その1

5月23日から27日まで、夫と車で東北方面の旅行に行ってきました。といっても往復に一日ずつかかるので、実質は25,26の二日間で大震災の跡をざあーっと見て回ったという感じです。感想を一口でいうとまさに「じぇじぇじぇー」です。

 まず23日、朝5時に家を出て、東京経由で埼玉にいる義弟の家に着いたのが夕方の5時。

翌日は金曜日だったので例によって首相官邸前で約1時間のシュプレヒコール。もうすっかり定着した感じでみんな落ち着いたもの。今回新しく「原発売るな」「どこにも売るな」というフレーズが加わっていました。その夜息子と落ち合って次の日いよいよ3人で出発。

 25日、義弟の家を出たのは朝5時。夫と息子が運転を交代しながら東北自動車道をひたすら北へ走ってどーんと釜石まで行きました。一人の犠牲者もださなかったというあの釜石小学校は山の中腹にあり、下から見上げるとちょうど運動会をしていて、元気な子どもの声が響いていました。しかし沿岸部に行くと立派なビルの二階の窓の上に「ここまで水がきました」の表示があり、見上げて「へえーっ!」。ちなみに道路を走っていても突然道路わきに「津波の水、ここまで」の標識が立っていてびっくりします。

 大船渡でお昼をしようと屋台村を覗きましたが、殆ど開店休業中で、人気(ひとけ)がありません。魚市場で僅かに食料を買い、陸前高田市へ向かいました。ここも一面の更地で、道の駅だったという頑丈そうなコンクリートの建物がひとつ、中はぐちゃぐちゃで傾いていながらかろうじて踏ん張っていました。そこから海の方を見ると、例の「奇跡の一本松」が見えます。何人かの人が歩いていっていたのでついて行きました。松は今修復中とのことで四角い足場に囲まれていましたが、その横に4,5mで折れている枯れた松の幹がずらーっと並んでいたので、やはりあの姿で残っていたのは奇跡だったのだと納得しました。

そこから気仙沼へ行く途中で、道路わきの荒れ地に突如として大きな船がでんと座っているのが見えたので、あわてて車を降りてみました。近づくと長さ50mはあろうかという大型船で、しかも海からはかなり離れています。確かにあの日、テレビで偶然津波の映像をリアルタイムで見ていて、畑を走る船も見ましたが、現実に目の前に船がどんとあるとその存在感に圧倒されます。「だれかちょっとどけてー」と言ったってびくともしないしろものですから、船本人も居心地わるそうでした。そして辺りの地面をよく見ると茶碗や湯飲みのかけら、お風呂のタイルなどが残っていて、たしかにここに人が住んでいたのだということがよくわかります。船を運びこみ家を押し流す・・・津波の途方もない力の凄さを実感した場所でした。気仙沼の駅前でやっとラーメンにありつき、そのあと高速道のパーキングに車を停め、車の中で食事をし、親子3人焼き鳥のように並んで寝ました。(続きは次回)

 

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年5月10日 (金)

まちかどエッセー第61回 「連休2題」

連休が終わりました。年中連休の私としてはテレビで、「渋滞」「人ごみ」「海外旅行」「家族連れ」などの言葉を人ごとのように「ごくろうさんなこと」と見るだけで終わるはずでした。・・・が、やはり最後に長女一家の豆台風に巻き込まれました。4日、長女から「お母さん、明日空いてる? 花がおばあちゃんちへ行きたいと言ってるねんけど・・」と電話。断らせない作戦全開です。そして5日の夕方やってきて、6日の晩までしっかり付き合わされました。長女夫婦の「ゆっくりしたい」という凹の気分と私たちの「孫とかかわりたい」という凸の気分ががっちりかみあっていつもの御一行様状態となりました。

 6日はメリケンパークで「ミートフェアー」があり、夫が似顔絵描きをしていましたので、花の「かえるじいちゃんのところに行こう」の言葉に引かれ行ってみました。やはりすごい人出です。そして、なんと夫の似顔絵のテントの前に行列が! 思わず娘夫婦と顔を見合わせ「信じられない!」 近づくのもはばかられるので、後はフリマを見たり、ちょこちょこと何か買っては食べたり、花とたいせいを相手に風船を投げて遊んだり。5時前になってやっと夫のお客さんが途切れて終了。夫は昼ごはんを食べる暇もなかったとかで、そのあとみんなで回転ずしを食べに行きました。快い満腹感と疲労感で連休も終わり「ああ、明日からまた仕事だあ」の娘の悲鳴を最後に別れました。

 その前の2日、3日、4日の3日間は水源池周辺を歩きました。日ごとに新緑化が進み、まさに山が笑う、山が膨らむ、いやむくむくと太っているような景色に今こそ歩き時だと出かけたのはいいのですが、思わぬ伏兵がいました。毛虫です。その数も半端ではありません。手すりを這っている奴は許します。許せないのは歩く道にすだれのようにぶら下がっているやつ。突然目の前に3センチほどの毛虫がくねくねと現われるので、瞬時に避ける俊敏さが求められ、それで若さを試されているような気になります。すぐに小枝を振り回しながら歩けばいいと気付いてそうすると、向こうから来る人も手に小枝、思わず苦笑いを交わしながらすれ違います。何気なしに帽子を脱ぐとそこに2匹、それならとズボンを見るとやはり1匹。虫との戦いの合間に新緑をちらちら見るという情けなさ。きれいなバラにはとげがあり、美しい新緑の下には毛虫ありなのです。3日間歩いている間に毛虫の短歌がいっぱいできました。その一部を。

 ふうわりと毛虫垂れいる山路行く手に手に小枝振り回しつつ

 かぶってて良かった山路でふと脱いだ帽子に2匹毛虫這いゐる

 その身にも五分の魂ありとかや踏まんとする虫よろめいて避く

 数歩先飛び立ちし雀のあと見れば食べ残したる毛虫半分  

屋上の野菜を狙うカラス、ハト、スズメの諸君、みーんな山へ行くべし。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年4月12日 (金)

まちかどエッセー第60回 「娘版 この一年をふりかえって」

4月はいわゆる年度初めです。多くの学校や職場で新年度が始まったことでしょう。我が家でこの一年 最も生活が変わったのは長女一家です。4年間の育児休暇が終わって職場復帰した娘と初めて保育園生活をする二人の子ども(4歳と2歳)。生活リズムが激変したといいます。時々我が家にも来てその大変さをさんざん話していましたので、「この一年をふりかえって」という題でちょっと書いてみてと頼みの電話をすると、「いま、ディズニーランドにいるねん。無理無理」との返事。さいわい昨日(46日)は下の子の誕生会だったので、それが終わって直撃インタビューをしました。

Q.ひとことでいえばどんな一年だった?

 忙殺された一年。激変した一年。

Q2.具体的には?

 時間的制約の中で、できること、できないこと、したいこと、しなければならないことなどが錯綜し、取捨選択が難しかった。朝も帰りも40分の通勤時間の中で、頭や感情を切り替えようと思ったができず、職場にも家のことを、家に帰っても仕事のことをひきずって、その中途半端さがストレスになった。

Q3.そんなあなたを支えたのは?

 ・夫の手助け(意識と実務の両方。二人の子どもは二人で育てるという考えのもと、子育てに対等に協力してくれた。)

 ・家族の健康 特に子どもたちの元気な笑顔。

 ・いざという時の祖父母の援助 (うんうん)

 ・ママ友。昔からの友人。思いっきり子育ての話ができる人。こういう人絶対必要。

Q4 この一年で学んだこと。

  子どもは一人では育てられない。自分だけで育てなくてもいい。なにがなんでも自分が

と気負わない。 

Q5 これからの一年はどんな一年にしたい?

  もっと切り替えを上手にやってわが子と触れ合いたい。子どもとの接触は時間ではなく、中身だとよく言われるが、子どもが小さい時は時間の長さも大切だ。子どもと接する時間はかけがえがないから。

というわけで、傍から見ていてもよくがんばった一年でした。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年3月24日 (日)

『今、父母と教師を新しく結ぶ会』(仮称)ご案内

『今、父母と教師を新しく結ぶ会』(仮称)ご案内

 かつて、日本子どもを守る会の機関誌「子どものしあわせ」は発行部数が20万部を超え各地でそれを元に各種の「教育懇談会」が熱気を持って開かれていました。

 それが、現在では発行部数は1000部そこそこで、出版継続も困難な状況になっています。

 一方で、日本の子ども・教育を巡る情勢は、「道徳教育の教科化」の動きにも見られるように、ますます厳しさを増しています。若い教師は自信を失い、親の不安も増すばかりです。

そんな時、「子どものしあわせ」編集局の呼びかけもあり、下記のように神戸でも標記の会を持とうということになりました。現職の先生や親の参加が予定されています。

ふるってご参加下さい。

日時 4月7日(日)午後2時~ 場所 神戸婦人会館 5F さくらんぼ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

«第46回 神戸子どもを守る会 定期総会