2007年8月15日 (水)

セミの鳴き声

 「シャー、シャー。」と暑苦しく鳴くせみ。
 私はセミの種類の名前に通じていないので鳴き声だけの話をします。
 ある男の人と話をしていた時、
「このごろ、地球温暖化のせいで、シャー、シャー、シャブー、と鳴くクマゼミが多くなった。昔はあのせみは少なく、ジジジー、ジジジジーと鳴くアブラゼミが大勢を占めていた。」
とおっしゃる。そこで気をつけて聞いてみると、私の周りは朝から「シャー、シャー、シャブー」とうるさい。そう言えば、私の子ども時代、昼寝の耳に「ジー、ジー」と油で照りつけるようなセミの声が耳に残っている。あれを聞くだけで暑さがいっそう増幅させられたようだった。マンガにもセミ取りをしている子どもの相手のセミはこんな声だった。
 以来、あちこちでセミの声に耳を傾けてみるが、「ジジジー、ジジジジジー」と鳴くセミの声に出会わない。
 ところが、山へ出かけた時である。里は32℃、ここは28℃。あたりはあの「ジジジジー、ジジジジー。」と鳴くセミの声ばかりです。
 「えっ、そうするとここは、私の子ども時代の気温?」
 とたんに昔は暑く感じていても今となれば、こんなに涼しいのだ、と発見したようなうれしさでワクワクしてきた。そこへ、「カナカナカナ。」と夏の終わりを告げるセミの声が聞こえた。そうなんだ、ここは夏休みの終わりの気温なのだ。
 もう50年も前の昔の子どもだった私は、このセミの声を聞くたびに「夏休みは終わりなのだ、今年も宿題をはやくやり終えることができなかった。」と悔やむ。毎年、夏休みの初めの計画では勢いづいてやるのだけど、いつも同じ繰り返し。切ない小学校時代の思い出がよみがえってきた。 K子

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2006年2月 7日 (火)

犬には還る野生がない!

 新聞を読んでいて、ふと犬の記事に目がいった。何気なく読んでいて「はっ」と胸を衝かれた。それは犬や猫は還る野生がない! という短い文章だった。犬や猫はあまりにも人間に近づきすぎて、「還る野生」がないという内容だった。当たり前なのに当たり前すぎて、私にはなにか衝撃的だった。
  犬はやっぱり狼が祖先だ。狼はもともと人になつかないが、狼の子どもは大変人なつっこい。それを利用して人間が子どもを飼いならしはじめたのが犬のはじまりらしい。その頃の祖先は狩猟生活だったので、助けてくれるものが必要だった。そして人間に都合良いように品種改良していった。そのためウサギ狩り用やヒツジの番をする犬などが生まれた。現在は仕事よりも人間を癒すペットとしての犬が主流だそうだ。
 つまり完全に狼とは別なくらしになってしまった。人間の歴史とともに、人間世界で生活をともにするのが当たり前になってしまったのだ。ふと気がつけば犬には還る野生がない。そうなのだ、この当たり前のことなのに、人間は犬や猫を捨てる。それはなんとむごいことをするのだろうと改めて感じた記事だった。 K子

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2005年10月18日 (火)

花一輪、都会のすみれを守る!

  山路きて なにやらゆかし すみれ草         芭蕉 

DSCN0195  このようにすみれは、山路や里山に咲くものと思っていました。ところが、自動車がビュンビユン走る都会の道路脇に、すみれの花の群落があるなんてご存知でしょうか?私も全く知らなかったのです。でもそんな都会の中でひっそりと咲くすみれの群落があるのです。群落になるまでに、そっと咲くすみれを守って増やしておられる方々がおられるのです。

 神戸はもともと海と山の中にできた街です。だからすみれが咲いて当然と思う。でも街になるにつれて何でも、雑草は街の景観を壊すものとして排除されてきたのでしょう。すみれも含めて雑草はレンガやコンクリートの隙間を広げ、汚いものとして見られてきたのでしょうか。

 それがよいのが悪いのか、自然と環境との関係は人それぞれでしょうか?

すみれ情報はここを見てください。    K子

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2005年10月14日 (金)

あわや、いのししと衝突!

 夜、8時すぎである。少し遅くなって帰宅近くの狭い路地に入った時である。なにか黒いものが目の前を横切った。「なんだろう、犬と少し違うな。」とふとみると『いのしし』である。いのししは私の方へ向かいながら、駐車場を横切って行った。私は駐車場のまわりを通って帰宅していた。つまりいのししは近回りをして目的とする場所に急いでいた。だから私とぶつからなかったのである。もう数秒違ったら狭い路地でいのししとぶつかっていたはずである。あとで考えるとぞっとする。また今度出会った時に備えて、ぶつかった時の逃げ方といろいろ考えたりしている。

 その後しばらくして、玄関の階段の一番下に置いていたポットが掘り返された。誰かがひっくり返したのかなと思っていた。ところが「昨日、いのししの親子が出てきてそこらを堀返えして大変やった。」と近所の人々に聞いた。「この前見た時より、子どもが大きくなっていた。」という話である。

 野生のいのししの「目」を見ると本当にこわい。人を見ると突進してくる。それを聞いたりしているからなおさらこわい。 

 いのししも大変である。食べ物がないのである。私の住んでいる所からは見えないが、 裏六甲の山がどんどん開拓されて食べ物がないからこっちの市街地にまでおりてくるそうだ。 自然環境と動物との共生をいろいろ考えさせられる日常となった。

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