学力テストの裏にある国の想いは、国民の想いと違うのです
自分の子どもの「学力」を知りたいのに、なぜ反対なのかと思われるでしょうネ。学力の調査は必要だという人もあるでしょう。また学力テストだけをみていたら、これは私達に関係ないと思われる方もあるでしょうネ。でも必要と思う人も関係ないと思う人も含めて、裏にみんなの思惑を越えることにテストを使おうとする国の流れがあるのです。今でさえ過度な競争教育です。国連からも日本は過度な選別と競争で子どもが発達障害を起こしていると勧告を受けているのですよ。過度な競争は子どもの心を育てません。
今、憲法を変えて軍隊を持って外国で戦争ができる国にしようと改憲手続き法案が、衆議院を与党だけで強行採決しました。私達の暮らしを含め、日本がどういう国に向かわされているのかとすべての人に関係があるのです。日本では、新自由主義と新保守主義の二つが同時に進行しています。どんな風に私達の暮らしと学力テストと関係があるのでしょうか。
戦後の日本の教育は 大企業の要請の学力偏重教育
戦後の少しを除いて日本はずっとテストの競争社会でした。ずっと大企業の要請にあった教育でした。私もつらい受験を経験してきました。今も昔も大学の格差があり、高校の格差がいっそうひどくなっています。それを義務教育の小学校からしていこうとしています。なぜ政府はこのようにしていくかは訳があるのです。バブルがはじけて大企業が生き残るためには、企業の終身雇用をやめ、難しいことを考える数パーセントのエリートだけでよい。昔のように誰も学力をつけなくてもよい。今は技術の熟練でなく操作だけでよいから頭を使わなくてもできる、と大企業がいっています。そのための提案がゆとり教育というのでした。そのため日本は世界の学力テストが下がった。学力の低下と人々が騒ぐからそれを世論の動きに合わせて政府はいろいろ改革をしようとしているのです。でも政府は本当に国民みんなの学力を上げる気はないのです。だまされてはいけません。それは私達の暮らしがくらしにくくなっていくことと関係しています。
新自由主義とは
新自由主義とは弱い立場のある国民をカバーするための規制を緩和し、資金のたくさんある人が得しやすい政策を政府がとることです。構造改革とも言われています。アメリカ生まれの考え方です。公という国が、弱い立場の人たちに福祉という格差がつかないように出していたお金をどんどん削ります。例えば、母子家庭に母子加算や老齢加算の廃止、老人の医療を少なくしてあげるのも国がフォローしてお金を出していました。定額控除などわずかでも国民にとって大切な税金返還でした。しかし国は福祉にお金を出さないで法人税をまけてやる大企業減税、大資本家減税(証券優遇税制)など大企業優遇の制度にしていきつつあります。05年税の負担率、富裕層の所得税負担額が所得3千万円超5千万円以下の層より低くなったとその逆転ぶりが朝日新聞に報道されていました。
そのため国民保険が払えなくて病院へ行けなくなったり、生活保護を申請してももらえないで餓死したりする人もこの日本で起きるようになりました。70年代から80年、一億総ホワイトカラーと言われたように日本に貧しさがなくなったと言われた時期もありました。でも今は税金を国民のために使う日本でなくなりつつあるのです。そのため格差社会と言われるように貧しい人とセレブと言われる人々が生まれつつあるのです。働いても働いても貧しい「ワーキングプア」という言葉も聞かれるようになりました。「ネットカフェ難民」というものあります。4月からまた国民年金の金額があがります。参議院選が終われば消費税16㌫にあがることが囁かれています。
学力テストを現場の教育の「成果」として使う
そして「教育」も郵政民営化のように自由な競争のもとにおこうとしています。明治以来、公教育として希なる就学率を誇りました。欧米に追いつき近代戦争のためには国民みんなに読み書き、集団行動が大切でした。それをやめるというのです。学力テストをするのに大手の受験産業に学力テストに96億円もの税金を投入してもうけさせます。学力テストは私達が暮らしにくくなっていくのと同じ根っこにあるのです。
学力テストという成果でお金を配分し、教師を競争させ市町村の学校に序列をつくり、自由競争だからテストが悪くつぶれる学校があってもいいということです。つぶれる子どもが出ても罰を重くすればよい。もはや憲法にあるような平和的な人格を持った国民を育成する「公としての教育」はないということです。そこが子どもの実力を知りたいという人々の願いとすれ違うところです。それなのに国は矛盾するように教育を手放さないで心を縛っていこうとしています。それが新保守主義といわれるもの、それだけ教育は大切という裏返しだと思います。
日本の新保守主義
昔、日本は天皇の赤子として命を捧げることが国を守ることだと世界を相手に戦争をしました。この時教育が大変な強制力をもって戦争に向かう国民を養成しました。
今は、国が教育にお金を出さないのに、心を国のためにと変えていこうとしています。教育3法案で政府は規範が大切と子ども達に愛国心を植えつけるように言っています。「お国のために命を捧げる」という美しい国づくりとも言っています。学校では「心のノート」という愛国心と受けつけるさきがけになるような副読本を数年前から配っています。先どりして愛国心を通知簿につけていた学校もありました。道徳を科目にして評価しようという話も出ています。昔とよく似てきています。すでに憲法の戦争放棄している9条をを変えた暁の用意は進められています。昔とそっくりでないが、昔のように戦争へ進む準備が進められているのです。国が地方にお金を出さないで放るため地方格差が生まれているのに、国が県、市教育委員会に強力な指示命令系統を下す法律も準備されています。大きな視野でみると国が教育を引っぱっていくのは危険であるというのは、歴史が証明しています。
憲法を変えるための手続き法案が参議院で審議に入っています。憲法を変えて日本がアメリカの傘下のもとに再び武器を持って海外に戦争する国にする憲法改正手続き法案」が新自由主義と同時進行しています。この愛国心は、真の愛国心でなく他国を蔑視し、自国を大変持ち上げ優越感を植えて戦争準備へもっていこうとする考え方です。そうした動きの見え隠れとしてこの頃、よく耳にするのが靖国神社に首相がお参りするだのしないのだの、従軍慰安婦はいたか、いないのです。また日の丸君が代について東京都ではたくさんの教師達が歌わなかったことで罰を受けたとかいう話があります。それが新保守主義と呼ばれているものなのです。
憲法を変える手続き法案と戦争に行くのは、どんな若者?
そして誰が戦争にいくのでしょうか。学力テストで負け組になった人々を国のために役立つようにし向けるのです。まさにアメリカがそうです。負け組となって戦争に行くのは、貧しい白人や黒人です。間違っても小泉さんの息子の孝太郎君は行きません。昔もそうでした。同時に戦争をするということは「人権」が制限されるということです。普通の人々も不自由に巻き込まれることです。新しい憲法草案を読んでも非常事態という名目で個人の命よりも国の政策が優先されるのが想像されます。テロも起きるでしょう。
21世紀です。戦争なら殺人も許されるはずがありません。世界の大きな流れは日本が持っている憲法9条です。それなのに逆に戦争をする国にしようとしています。今、国民は戦争を必要としていません。きっと昔も少しずつ法律が変えられて気がついたら戦争に反対したら牢屋行きとなっていたのでしょう。母はどんなことがあっても戦争だけは2度とイヤと言いました。今はそうなる前の綱引き状態でないでしょうか。女優の渡辺えり子さんは「父親が戦争であわや命を落とすところだった。父の友達は家庭を持つ幸せを知ることなく亡くなった。今私があるのは父親が生き残ったからです。だから戦争は反対です。」と述べていたのに感動しました。戦争は命をつなぐことにも関係あるのです。
真の学力とは?
今の日本の憲法96条に憲法を変える手続きが書いてあります。「憲法の改正には各議員の3ぶんの2以上の賛成で国会がこれを承認し、国民に提案してその承認を経なければならない。憲法には特別の国民投票または国会の定める選挙に際行われる投票において、その過半数の賛成を必要とする」、と書いています。
でもその過半数が国民のほとんどの人が投票したうちの過半数なのか、例えば20㌫の人々が投票したうちの過半数なのか、そこに書いてありません。それで今、それを決めようとしているのが衆議院を強行された手続き法案というものなのです。それの問題の一つに投票率が少なくてもいいとしていることです。でも憲法って国のあり方を決めるとても大切なものです。それを少数のパーセンテージ確立だけで変えていいのでしょうか。それで反対の運動が起きているのです。憲法を変える手続きを「決めてくれ」と要求したのは国民の側ではありません。政府側からの要求なのです。だから知らない人も多いのです。政府にとって知らない人が多い方がやりやすいことです。みなさん、知っていきましょう。
昔なら天皇や国王や幕府が法律を自分達の都合のいいように作ることができました。今は、選挙で選ばれた人々が国会で国民の代わりに政治を決めていきます。だから選挙が大事になります。戦前では税金をたくさん納める男子しかありませんでした。自由民権運動の普通選挙運動が起こって男子に権利ができました。でも女子にはありませんでした。それ以前、欧州では革命で命を賭けて国民が国という王権と闘いました。日本はそういう世界の人々の流れにやっと沿うことができたのが戦後です。長い日本の歴史のなかでほんの60数年、国民みんなが自分のための政治を実現してくれる人を選ぶ大事な権利を獲得しました。
憲法第1条には国民は権利の主体であると書いています。国民は国の主人公だから国民が安心して暮らせるようにおおいに意見を言って行かなければなりません。言わなければ伝わらないのです。
憲法99条には、憲法尊重擁護の義務というのがあります。そこには国会議員がその義務を負うとなっています。憲法を変えようと国会議員から出る方がおかしいのです。そうでなくて国会議員に私達が暮らしやすいように国の政治をしてもらう権利があり、国会議員はそのために働かなければならないのです。
学校で覚えたことがすぐはがれるというのが日本の学力です。どんな国にするのか、人間何歳になっても国民ひとり1人が物事を知って賢くなることが問われている。これが学力というものではないでしょうか。 K子
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