多発する子どもへの事件に思うこと
次々に起こる、子どもを殺すという事件に心が痛む。宇治小6の塾講師や滋賀2児刺殺事件をみていると、どんなに進んだITによっても子どもを守ることはできないということを痛感する。善良な人が苦しんだあげく殺人に走ってしまう。そんな人間を作り出す社会の構造的なゆがみを感じるのは私だけでしょうか。
よい会社に入ることが幸せを保障する。そのためのよい学校、学歴神話は崩れたが、今も続く子どもを勉強に掻き立てる社会は、「勝ち組」になること、「負け組」になるおそれへと変わってきたような気がする。そういう政治が作られ、その流れに私達は意識を変えられていっている。「自己責任」と政府が言えばそうなる。そしてマスコミが私達の考え方をも左右してしまう。私もおかしいなあと思いながら真の考えが浮かばない時もある。
事件の容疑者達は事件前からトラブルなり、相談の事件へのシグナルはあったという。閉塞した社会のなかで私達は不安になり、弱い立場におかれた人は一層不安になっているのを見抜くことができなくなってきているのでないか。いや、逆に排除し、変な目で見やしないか!
学校の教師もまた、親の文句を攻撃ととらえないで置かれている立場に寄り添い、応援する体制をとることが大事だ。学校も変わらなければならないし、学校だからこそ救える立場にあると思う。
俳優の金田貴俊さんが「徹子の部屋」で言っていた。
「両親が離婚し、祖母のもとで友達にいじめられた時、支えになったのが近所のおばさんだった。そこに居場所があったからこそいじめに耐えられた。」
その後の彼の人生は今があっては不思議なくらいいろいろあるが、たまたまそんな人が近くにいることで彼は救われた。
私達にできることって何なのだろう!
「わが子を犯罪者にしないこと」
「わが隣人を犯罪者」にしないこと」
今こそ行政や上からの押し付けでなく、私達が主体的な考えを持ち、私達の本音を紡いで、地域を変えていく「知恵」、つまり民主主義をもっと作り出していくことしかないような気がする。 K子
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