プライドが高い男の子
やんちゃな幼児のだだっこぶり
2種類の紙トンボがあった。ある4歳くらいの男の子がそれらの紙トンボを飛ばした。1種類の方がうまく飛ばなかった。もう一度やったが失敗した。だから、彼はもう試すのを嫌がった。それを見てある人が、
「結構、プライドが高いねんね。」
とほほえみながら言った。
私は直感的に違う!と思った。彼はイヤと素直に自分のありのままの気持ちを表したにすぎない。彼の意見表明だ。誇り高い自分ありたいと思ったわけでない。失敗して自分の気持ちが傷つけられると思ったわけでないと思った。でもよく世間でそのように使われる。その根底にはプライドが高いのはいけないという日本人のいましめのような気持ちがこもっている。またそのように決めつける大人の言葉が子どもの心を傷つけると思った。
では私はどんな風に対応したでしょうか?
私は自分の思いを口にし、ありのままの自分である彼がいとおしくておかしくてたまらなかった。この講座に来た頃は赤いキャラクターの顔の輪郭線がうまくつながらなくて、むしろ赤ちゃんに近い方だった。1年経つと目鼻立ちがわかる顔を描けるようになっている。今、イヤと自分の思いを素直さに出すしぐさは笑いを誘わずにおられない。ここに彼が、ありのままの自分を出せるのはそれを受け止めてくれる大人達、私やお母さんを含めスタッフがいるからでしょう。現に彼がやる気になるまで待っている講師さんがいるからです。
以前、商店街で父親にだっこされ、彼は父親に頬を寄せ安心してスキンシップを楽しんでいる姿を見たことがある。彼の母親は寄り添うように信頼して一緒に歩いていた。母親がいつも彼に指示的な口調で話しかけないのは、きっとそこからきているのだと思った。ありのままの自分を出している彼をかわいいと思うのは、十分に両親にありのままを愛されているからでしょう。
ありのままの自分を受けいれてくれる人間関係があることが、自律的・社会的主体としてきちんと成長発達する保障をするのに不可欠です。泣いたり悪さをしたりといったさまざまな行動に対して無条件かつ継続的に、今日の彼の意見表明には「うまく飛ばないのだね。いやだね。」と肯定的にかつ誠実に対応してくれる親や大人との関係がいるのです。私は彼が興味を持ったおもちゃと一緒に遊びました。彼が自分の心と折り合いをつけるのを待つのも大事です。その後講師さんの呼びかけに彼は苦手な方の紙飛行機も作りました。そういう体験を十分にして子どもは「ここにいていいんだ。」「自分は大切なんだ。」という安心感や自己肯定感を持てるようになり、自分を誇りに思えるようになると思います。十分にそのような体験をした人は他人の心に共感できる大人になるのです。それをまだ幼い彼にプライドが高いので傷つくことを避けていると思うことは、大人の勝手な解釈だと私は思うのです。
「プライド」が高いのは、いけない?
「プライド」って何だろう。私はインターネットで調べてみたが納得いくものがなかった。英語の辞書の「自尊心」を引いてみた。二つあった。一つにはセルフーリスペクトself-respect「自分を尊敬する」という直訳になる。自己肯定感に似ていると思った。もう一つは、プライドpride で「自慢する」「誇りにする」という意味です。誇りは自己肯定感も含むと思った。
つまり「自尊心」にはselfーrespect という「自分を尊敬する心」(自尊心に似た意味)の意味とprideという「自慢する、誇り」という意味があるのです。おそらく人権という歴史からいって、人は生まれながらに基本的人権があり、「自尊心」が基本になっている欧米の歴史と、世間に合わせる没自我の日本の文化の違いが、「自尊心」をpride、自慢すると否定的イメージの方に定着させていったのでないかと思います。きちんとしたことを知っている人、教えてください。
良きにつけ悪しきにつけ没自我で生きられた封建制の残った日本の地域社会の人々は、今日、成果主義の市場主義社会のなかで、「個」が直接社会にさらされるようになったと思います。これに対応する人格を育てる環境は遅れています。一方で自尊心=プライドが高いことは自己主張し、自慢し他人のことを考えない悪いという日本文化があり、一方で競争と選別の教育環境があり、親の価値観に合わせている子ども達は、ありのままの自分でいられません。自己肯定感も自我も確立できないでいる実際ではないでしょうか。
欧米の文化では、幼少から自我の確立のため自分の意見をきちんと述べることが大事にされると言います。アメリカに夫とともに赴任した同級生が、向こうの方に意見を求められて意見を述べると、
「それは一般的な考えでしょう。あなたの意見を述べてください。」
と言われて当惑したと言いました。これは子どもだけでなく日本の大人が、自立した個でないことが多いということにつながると私は思います。
本来、プライドは高いということは、他人と共感する心を持ち合わせている上に成り立っていて、十分自己肯定感を持ち、自分を誇りに思っているとてもいいことだと思うのです。そしてそれは人間関係の中で育てられるものだと思うのです。
言った人の本意と違うことを感じてかもしれないけれど、何気ない会話のなかに人権がひそんでいると思った日でした。 K子
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