« 2007年6月 | トップページ | 2007年8月 »

2007年7月23日 (月)

一生懸命に働いてきた者が報われるように・・・

 まじめに一生懸命に暮らしてきたのに今、私達は生活の不安でいっぱいです。「生活は政治と結びついている」というのであるけれど、ふだんの私達は国会がどっち向いているのかピンときません。そこで年金の歴史を調べてみました。

  1、社会保障と国の行政の責任

  日本の年金の歴史は浅く、皆保険の制度が導入されたのは1962年ごろだから、今65歳ぐらいの人が二十歳になった頃始まりました。年金制度導入の契機は、国民の生存権の増進を努める国の役目のためで
 憲法25条に【生存権、国の社会的使命】すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
 ②国は、すべての生活面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。
 にあり、この②の国が考えた制度が皆年金で、「老人の生活を働いている世代が支える」という助け合いの発想で始まりました。また、働いている人達は将来老後のための積み立てという年金制度となります。

 皆年金には三つの種類があります。
1,共済年金・・・
  国家公務員や地方公務員の年金で、管理は共済組合で独自にしている。掛け金は非常に
高く、給料から天引きされる。雇い主の国や県が半分負担している。かって国鉄の労働者もそうでした。
2,厚生年金・・・
  会社で働いている人達が入る年金。給料から天引き。雇い主の企業が半分負担し、国は25条の観点から働いていない妻の国民年金も負担する。しかし国や自治体に治めない企業主があったようで、今「治めたはず・・・」という問題にもなっているのがある。会社はこのお金を払うのがイヤで非正規雇用が今、大変増えています。給料が少なく普通のマンションは入られないし、国民年金も払えないという若い人達のネットカフェ難民というのを生んでいます。結婚できない給料で一家庭がもつ子どもの数は1.57ショックと言われ、少子化の大きな原因とも言われています。
3,国民年金・・・
  上記以外の自営業者や店舗の人や医者など夫婦が入る。自分で治めに行く。導入された頃掛け金は安いが将来もらえる金額も少ないため、たくさんもうけている人で定年がなく働ける人は、治めても得することがないと治めない人も多かったそうだ。
  憲法25条健康で文化的な最低生活を保持するために発足したにもかかわらず、現在でも満額でももらえる額はわずかで、介護保険の天引きや医療費も高くなりさらにもらえる額は減っている。若者の就労も不安定で国民年金さえ納めることができない層が増え、貧富の格差をうめるものになっていない。国がもっと生活できる最低の金額保障し掛け金と併せてもらえるような制度にしてこそ、憲法25条への国の責任は果たされると思います。満額25年は長いです。

2,国の無責任な年金保管の態度
  年金問題の起こりは地方自治体に治めた時期もあって、年金番号が複数になった。それを統一した年金番号にしようと管さんの時に決まり、小泉さんの時から実施された。これが誰の記録がわからない今の宙に浮いた年金騒動の始まりです。パソコン入力の際の名前の間違いや年金の種類が変わった人、結婚して姓が変わった人、転居した人、会社を辞めて国民年金に変わった人など払っているにもかかわらず、継続の記録がないのが判明しました。宙に浮いたのと照合するのは大変です。
  また日本国中の国民のお金を長期に渡って預かるため国の乱用も生まれる。預かっている年金を運用するという法律をつくり、「グリンピア」のような施設をたくさん作った。しかし儲からないため、ただのような値段で売りに出したというのをたまたま夕方のテレビ報道で知った。株に流用してもよいという法律もつくられました。いま、少子化を口実に将来の年金がないので支払いの値上げが言われているが、それより年金の保留分を使い込まれた国民年金のみなさんへの補償どうなるのかしら。みなさん、知っておられる?

3,もう一度、国民のための政治を取り戻しましょう
  1973年(昭和48年)が福祉元年と言われ、この年に「老人医療無料化」が実現した。日本は高度経済成長で経済大国に発展していきました。一方、世の中は公害反対の運動がさかんでした。東京(美濃部知事)、京都(蜷川知事)、大阪(黒田知事)など府民のことを考えた政治の波が高揚していた時期と重なります。国の社会保障費も増え、日本から貧困はなくなった、一億オールホワイトカラーと言われた時代です。年金生活では苦しかろうと老齢加算というお金ももらえました。昨年だったか廃止されましたネ。
オイルショック後福祉はどんどん後退していきました。この経済大国の日本に「餓死」という新聞報道もされるようになりました。ある教師の「この日本に発達途上国のような貧しい子ども達がいるのにびっくりする。」という告発もあります。
  また皆年金が作られた頃に比べ、長生きする老人が非常に増えました。国は補助のお金を減らし続け老人医療費はすでに無料ではありません。もっと老人の医療費を減らそうと「後期老齢者医療制度」が強行採決され、来年4月から施行されます。75歳になると扶養家族から独立して老人本人の年金天引きで医療年金のお金をむしりとられます。
  新聞のひととき欄に特別養護老人ホームに母を見舞った時の様子が掲載されていました。・・・母は「行き過ぎたのう。」とぽつりと言って肩を振るわせて泣いた。・・・。長生きはめでたいことなのに、老後もお金しだいなんて悲しいです。尊厳を否定されるようです。
国はひとときでも憲法の趣旨を行おうとした時代もあった。今は新自由主義と言って国民のためにならない政治が行われています。小泉さんが「構造改革」と叫んでいたのはそれだったのです。私達は十分考えて大切な一票を使いましょう。たかが一票、されど一票です。  K子

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年7月 6日 (金)

乳幼児は、母親の心を読みとることができる

   日曜日、毎日テレビの「動物奇想天外」が意外に面白い。いつも自然界の動物達が自然に調和し、また過酷さに耐えて生き抜く姿に感動させられる。そんな動物達の環境を簡単に壊すのが人間であるのにいつも愕然とさせられる。
   ある日、人間の子どもとチンパンジーの違いを見せつけられた面白い実験が二つあった。

《渡れない橋でも、お母さんの顔つきをみて渡る1歳の赤ちゃん》
   一つ目、人間の1歳くらいの乳幼児は、大人の心を読みとる能力を持っていることを示す実験であった。実験の場の設定はある二つの高い床があり、それを透明なアクリルの板でブリッジにして渡れるようにしてある。透明であるけれども少し大きい3歳児ぐらいになると渡れるとわかるようなつくりである。
   ハイハイができる赤ちゃんを一方の床の上に置く。一方お母さんは乳児からみて渡った橋の向こうの床にいる。お母さんのいる所へ行こうと赤ちゃんは、透明になっている橋のそばまで行く。でもブリッジは透明なので渡れないと思い、止まります。赤ちゃんはお母さんの顔を見る。お母さんが心配そうな顔をすると渡らない。大丈夫、渡れると笑顔を見せると渡れると判断するのです。それに比べてチンパンジーの子は自分で確かめて渡る。生まれて同じくらいの年齢の赤ちゃんはチンパンジーの方が賢いのです。これは自然界に住んでいるため、人間より早く自立して危険を察知しなければならないためこの時期としては人間の子よりも発達が早いそうです。納得しました。

《赤ちゃんの成長には、お母さんへの無条件の安心と信頼が必要》
   この実験は、1歳ぐらいまでの人間の赤ちゃんでもお母さんの表情から心を読みとることができる、賢いという実験である。私はそこに赤ちゃんの無条件のお母さんへの信頼を見た思いがしました。このような高度な精神行動を発揮できる根底には、お母さんに絶対的な信頼をおかなければできません。赤ちゃんも知らない大人なら渡らないでしょう。つまり人間の赤ちゃんは生まれながらに社会性を持った存在であるし、無条件に信頼できる・安心できるお母さんという場の占める割合が大きいということを証明しています。人間の乳幼児は、無条件に信頼・安心のもとで母親の顔色から、「いけないこと」「よいこと」を学ぶ高度なコミュニケーション能力を持っていることです。
   これは3歳までは言葉が通じないのでたたいて体で教え込まなければわからないのでなく、かわりにお母さんの悲しそうな顔、怖い顔、そして言葉のトーンで「いけないこと」を、また優しい顔などで「いいこと」を伝えられるということです。無条件に安心・信頼のお母さんの腕のなかで、いたずらや失敗を重ねてゆっくりと自分の個を成長させていくのです。
   それには、コロコロお母さんの態度が変わってしまうと赤ちゃんはとまどってしまう。また子どもを傷つけるような言葉づかいも赤ちゃんを傷つける。そのような態度は人間を信頼できない子どもに育つ危険もある。だからまわりの人達がゆったりとできるようにお母さんを支援することが大切と思います。また早期教育という子どもにとってよかれと思う親の学歴の押しつけが、自分の要求を抑えゆがめられ信頼・安心の心でなく、少年事件に発展することはありうるということです。

《乳幼児期の安心・信頼は人間観を左右する》
   
間としての特性である対象は生母とは限らない。それに代わる絶対的に安心・信頼を託せる人が赤ちゃんにとって必要ということであると思います。
   カウンセリングの学習のなかでこのような関係がうまくできなかった人が社会生活でコミュニケーションがとりにくい人格に育っていくことも学んだが、それが今回この実験で裏付けられたと思いました。

《赤ちゃんは2歳までは本物との区別がつかない》
 
もう一つ、実験があった。2歳ぐらいまで人間の赤ちゃんは、本物と実物の区別がつかないという実験です。
赤ちゃんでも座れない小さい椅子に自分が座れるかどうか、わからないで座ってしまう。写真の靴でも履かれると思ってしまうという実験でした。
   この実験の後の解説が、「人間の2歳までの赤ちゃんにとって実体験が大切」と述べていました。赤ちゃんにとって小さい失敗が大切ということでしょうネ。もちろん同じぐらいの年令のチンパンジーの子どもはちゃんと区別がつきます。   K子

| | コメント (0) | トラックバック (1)

« 2007年6月 | トップページ | 2007年8月 »